はじめに
がん治療の説明を受けているとき、髪のことが気になる方もいると思います。
そんなとき、「忙しそうなドクターは治療の話をしているのに、髪のことを聞いてもいいのだろうか」とためらって、質問できなかった方もいるかもしれません。
髪のことも、遠慮なく聞いて大丈夫です。
がんの治療が最優先なのは言うまでもありません。ただ、治療を受けながらも日々の暮らしは続きます。朝になれば顔を洗って鏡を見る。仕事や買い物に出かける。同僚や友人に会う。そんな毎日の中で、髪が抜けることや見た目が変わることが気になるのは、ごく自然なことです。
医療には、がんやその治療による外見の変化に伴う負担を軽くし、その人らしい生活を続けられるよう支援する考え方があります。これを「アピアランスケア(外見ケア)」といいます。
少し聞き慣れない言葉かもしれませんが、まずは、治療による見た目の変化も医療従事者に相談してよいのだと知っていただければと思います。
今回は、がん治療による脱毛への備えと、ウィッグや帽子などに加えて頭皮アートメイクが果たせる役割について、美容医療に携わる医師の立場からお話しします。
がん治療で、必ず髪が抜けるわけではありません
まず知っていただきたいのは、がん治療を受けると必ず髪が抜けるわけではない、ということです。
薬物療法(化学療法)では、使う薬剤によって脱毛の程度が異なります。頭髪だけでなく、眉毛やまつ毛、体毛に影響が出る場合もあれば、脱毛がほとんど起こらない治療もあります。放射線治療では、基本的に放射線を照射した部位に脱毛が起こります。
つまり、「がん」という病名だけでは、髪がどのくらい抜けるのかはわかりません。
脱毛の原因や誘因となる薬剤には、いわゆる「抗がん剤」として知られる抗悪性腫瘍薬のほか、免疫・アレルギー分野で使われる分子標的薬も含まれます。薬剤が原因で脱毛が起きる場合は、投与2-3か月後のことが多いようです。そして、投与から6か月以内に脱毛が収まることが多いとされています。
化学療法による脱毛は、髪をつくる毛母細胞が薬剤の影響を受けることで起こります。頭髪の多くは、毛根にある毛母細胞が活発に分裂する「成長期」にあるため、影響を受けやすいのです。治療後は、毛をつくる働きが回復し、髪が伸びてくるまでに時間がかかります。生え始める時期や、見た目が整うまでの期間には個人差があります。
化学療法で使われる薬は、がん細胞の分裂や増殖を抑えるために働きます。その作用は、正常な細胞にも及びます。とくに、髪をつくる毛母細胞や、皮膚、口の中や消化管の粘膜など、細胞分裂が活発なところは影響を受けやすく、脱毛や皮膚・粘膜の症状につながることがあります。また、薬剤によっては、精子をつくる細胞や卵巣にも影響し、生殖機能が低下することがあるのは、体の中の分裂が盛んな組織が影響を受けるということを知ると、理解が進むかもしれません。
そんな副作用である「脱毛」については、実のところ正確な情報が少なく、インターネットで体験談を調べても、不安が募る人もいるかも知れません。そもそも、ほかの患者さんに起きたことが、そのまま自分にも起きるとは限りません。
まずは、自分が受ける治療で脱毛が起こる可能性があるのか、どの程度が予想されるのかを、主治医や看護師に聞いてみてください。その情報をもとに、自分に必要な準備を考えれば十分です。
髪が抜ける前にできる準備
脱毛が予想される場合は、治療が始まる前からできる準備があります。代表的なのは、ウィッグや帽子について調べておくことです。
ただし、治療前に何もかも買いそろえる必要はありません。ウィッグにもさまざまな種類がありますし、帽子やスカーフのほうが楽に過ごせる方もいます。
外出するときだけウィッグを使い、家では帽子で過ごす。近所への買い物なら何もつけない。そんな使い分けでも構いません。
治療前の髪型や眉毛をスマートフォンで撮影しておくのも一つの方法です。あとでウィッグを選んだり、眉毛を描いたりするときの参考になります。
美容院に相談して、あらかじめ髪を短くする方もいます。一方で、できるだけ今の髪型でいたい方もいるでしょう。どちらを選ぶかは、ご本人が決めてよいことです。
アピアランスケアというと、医療者から何か特別なことをしてもらうイメージがあるかもしれません。けれど、自分が過ごしやすくなる小さな工夫も、アピアランスケアの一つです。
見た目を元通りにすることだけが目的ではありません
ここは、私自身も大切にしているところです。アピアランスケアの目的は、治療前とまったく同じ外見に戻すことではありません。
外見の変化がそれほど気にならなければ、無理に何かをする必要はありません。反対に、髪が抜けることで人と会うのがおっくうになったり、仕事に行くときに気になったりするなら、その負担を減らす方法を考えてよいのです。
自然に見えるウィッグを大切にする方もいれば、毎朝の準備が簡単になることを重視する方もいます。家族にはそのままの姿を見せられるけれど、仕事では知られたくないという方もいるでしょう。
何に困るかは、人によって違います。何を使うかを決める前に、「自分は何が気になっているのだろう」と考えてみると、選びやすくなります。
ウィッグや帽子、頭皮冷却療法などの選択肢
頭髪の脱毛に対してよく知られているのが、ウィッグです。さまざまな製品があり、自然さだけでなく、軽さや通気性、手入れのしやすさ、価格なども選ぶ基準になります。帽子やスカーフも身近な選択肢です。
また、治療内容や医療機関によっては、薬物療法中の脱毛を抑える目的で、頭皮冷却療法が検討される場合もあります。
外見を整える方法の一つとして、頭皮アートメイクという選択肢もあります。
これらには、それぞれ異なる役割があります。「ウィッグか、頭皮アートメイクか」と二者択一で考える必要はありません。生活や脱毛の状態に合わせて選び、必要に応じて組み合わせることもできます。
頭皮アートメイクでできること
頭皮アートメイクは、専用の針で頭皮に色素を入れ、毛根や短い毛髪があるように見せる方法です。頭皮と毛髪の色のコントラストを小さくすることで、地肌の透け感を目立ちにくくします。
ただし、髪を生やす治療ではありません。発毛治療とは役割が違い、ウィッグのように髪そのものを補うものでもありません。
広い範囲で脱毛している場合は、ウィッグのほうが適していることがあります。一方、部分的に地肌が目立つ場合や、髪が戻ってくる途中で頭皮の透け感が気になる場合には、頭皮アートメイクが選択肢になることがあります。
大切なのは、今困っていることに、この方法が合っているかどうかです。私たち医療者も、その点を考える必要があると思っています。
治療中は、施術の時期を慎重に判断します
頭皮アートメイクについて、もう一つ知っていただきたいことがあります。
アートメイクは、皮膚に針を使って色素を入れる医療行為です。そのため、がん治療を受けている方が、希望する時期にいつでも施術を受けられるとは限りません。
治療内容によっては、免疫機能や血液の状態が変化することがあります。皮膚が敏感になったり、炎症が起きたりすることもあります。
現在どのような治療を受けているか、治療のどの時期に当たるか、頭皮の状態はどうか。こうした点を確認し、必要に応じて主治医とも相談したうえで、施術できるかどうかを判断します。急がないほうがよい場合には、待つことも選択肢になります。
アピアランスケアは、外見を整えるために治療の安全性を犠牲にするものではありません。治療をきちんと続けられることが大前提です。
治療が始まる前から相談できます
脱毛してからでなければ相談できない、という決まりはありません。治療前に相談しておけば、どんな選択肢があるのかを落ち着いて考えられます。
ウィッグや帽子を探しておく。今の髪型や眉毛の写真を残しておく。頭皮アートメイクという方法があることを知っておく。実際に何をするかは、あとで決めても構いません。
選択肢を知ることと、実際に選ぶことは別です。
治療の説明を受けた直後に、すべてを決める必要はありません。がんと診断されただけでも、考えることはたくさんあります。治療法に加えて、仕事や家族のことまで一度に考えれば、頭の中がいっぱいになるのも当然です。
髪のことは、考えられるときに考えればよいのです。
髪のことも、医療者に相談していい
がん治療という大きな話を前にすると、髪の悩みは小さなことに思えるかもしれません。けれど、医療者が考える副作用の大きさと、患者さんが日常生活で感じる負担の大きさは、必ずしも同じではありません。
治療そのものは病院で行われますが、患者さんが過ごす時間の多くは病院の外にあります。朝、鏡を見て服を選ぶ。電車に乗って仕事に行く。人と食事をし、写真を撮る。そうした普段の暮らしの中で、見た目が気になる場面もあります。
だから、髪のことを相談するのに遠慮はいりません。
ウィッグを使っても、帽子を選んでも、何もしなくても構いません。条件が合えば、頭皮アートメイクを検討することもできます。大切なのは、周囲が考える正解ではなく、ご本人が毎日を過ごしやすい方法を見つけることです。
当院でも、頭皮アートメイクありきではなく、現在の治療状況や頭皮の状態、そして何に困っているのかを確認しながら、一緒に考えることを大切にしています。
治療中であっても、いつもの自分でいたいと思うのは、ごく自然なことです。髪のことも、見た目のことも、日々の暮らしのことも、医療者に話してよいのです。